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桜本坊(Sakuramotoboh Temple : Yoshino.Nara) 吉野に桜が多い理由は、修験道の開祖である役行者が大峰山上で一千日の修行を行った際、蔵王権現を感得し、その像を彫り込んだ

桜本坊(Sakuramotoboh Temple : Yoshino.Nara)

吉野に桜が多い理由は、修験道の開祖である役行者が大峰山上で一千日の修行を行った際、蔵王権現を感得し、その像を彫り込んだのが桜であったという説がひとつ。

そしてもうひとつは、吉野の日雄離宮に身を隠していた大海人皇子が、ある冬の日、桜が満開に咲き誇る夢を見て、皇位争いに勝利するお告げを受けたという説。

皇子は皇位に就いて後、天武天皇となり、夢に出てきた桜のあった場所に寺を建立した。

それが現在の桜本坊であると言う。

どちらにせよ、後の世の人たちが御神木として手に手に桜の苗木をお供えしたのが、今の一目千本の絶景を作ったのには違いない。

皇子の見た桜は、一本きりの木が咲く夢だったのだろうか。

それとも、屋敷中の桜が真冬に一斉に咲き誇る夢だったのろうか。

私はなんとなく後者のような気がしている。

みんなの願い事が叶いますように。


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如意輪寺(Nyoirinji Temple : Yoshino/Nara) 山の峰越しに見える如意輪寺。 近くに見えても、間には深い谷を挟む。 修行を重ねた修験者なら、谷と谷をこともなく渡って行き来し

如意輪寺(Nyoirinji Temple : Yoshino/Nara)

山の峰越しに見える如意輪寺。

近くに見えても、間には深い谷を挟む。

修行を重ねた修験者なら、谷と谷をこともなく渡って行き来したのだろうか。

そりゃ天狗伝説も生まれるわな、と実感してしまう。

この立地、なかなかきびしいぞ…


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金峯山寺蔵王堂(Kinpusenji Temple Zaoh-doh : Yoshino. Nara) 日本の国宝であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素のひとつにも指定されている、金峯山

金峯山寺蔵王堂(Kinpusenji Temple Zaoh-doh : Yoshino. Nara)

日本の国宝であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素のひとつにも指定されている、金峯山寺蔵王堂。

堂内には蔵王権現が祀られています。

本尊である3体の金剛蔵王権現は秘仏とされ、常にお姿を拝見することはできませんが、特別な機会には一般にも拝観を許され、お近くで拝ませていただくことができます。

全高約7メートルという三体の立像。

静かな堂内で見上げる姿は、やわらかいような強いような、おそろしいような、不思議な感覚にとらわれます。


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石垣の修復(Kinpusenji Temple : Yoshino.Nara) 奈良県吉野の金峯山寺脇の石垣。 2012年の4月に訪れた時には、石垣の修復が行われていました。 吉野山の峰上に町並みが連石垣の修復(Kinpusenji Temple : Yoshino.Nara) 奈良県吉野の金峯山寺脇の石垣。 2012年の4月に訪れた時には、石垣の修復が行われていました。 吉野山の峰上に町並みが連

石垣の修復(Kinpusenji Temple : Yoshino.Nara)

奈良県吉野の金峯山寺脇の石垣。

2012年の4月に訪れた時には、石垣の修復が行われていました。

吉野山の峰上に町並みが連なる吉野は、傾斜がきつく、平らな土地の少ない場所。

そこに蔵王堂始め、金峯山寺の建物を支えるために作られた石垣は、小振りながらも膨大な数の石が使われています。

それらのひとつひとつに印をつけ、修復前と同じ位置へ戻せるようにしながら作業が進められます。

修復後はまた何百年と金峯山寺の基礎を支えていくのに違いありません。

緻密な作業に頭の下がる思いです。


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石垣の修復(Kinpusen-ji Temple : Yoshino.Nara) ひとつひとつに数字が貼られた石垣。 これらを修復前と同じ位置に戻せるように修復が進みます。

石垣の修復(Kinpusen-ji Temple : Yoshino.Nara)

ひとつひとつに数字が貼られた石垣。

これらを修復前と同じ位置に戻せるように修復が進みます。


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五七の桐(Daigoji Temple:Kyoto) 醍醐寺は豊臣秀吉とゆかりの深いお寺。 境内では豊臣家の家紋と同じ五七の桐が多く使われています。 醍醐寺は慶長3年(1598年)に行われた醍醐の花見

五七の桐(Daigoji Temple:Kyoto)

醍醐寺は豊臣秀吉とゆかりの深いお寺。

境内では豊臣家の家紋と同じ五七の桐が多く使われています。

醍醐寺は慶長3年(1598年)に行われた醍醐の花見以降、多くの大名家からの寄進を受け、大きな発展を遂げます。

でも写真をよく見てみると、豊臣家の五七の桐が「桐の花が咲いている様子」を表すのに対して、醍醐寺の五七の桐は「桐の花のつぼみ」を表現しているよう。

葉の描き方など、少し遠慮したデザインになっているのがおもしろい。


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醍醐の枝垂れ桜(Daigoji Temple:Kyoto) 絵のような景色。 今年の桜はとてもきれいでした。 また来年。

醍醐の枝垂れ桜(Daigoji Temple:Kyoto)

絵のような景色。

今年の桜はとてもきれいでした。

また来年。


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記念撮影(Daigo-ji Temple:Kyoto) 門前のしだれ桜の前で一枚。 思わずピースサインも出ちゃうよね。 満開だよ!

記念撮影(Daigo-ji Temple:Kyoto)

門前のしだれ桜の前で一枚。

思わずピースサインも出ちゃうよね。

満開だよ!


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Jigenji . Chichibu (2021)

秩父札所十三番 慈眼寺 埼玉県秩父市

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