#ゲーマーゲート

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■前回のおさらい

 Part-3[記事リンク]――ゲーマーたちは、ゲームジャーナリズムを糾弾したがゆえに、ジャーナリストたちから”報復”され、情報の包囲網を敷かれる形となり、悪評だけが世間に流布してしまうこととなった。

 しかし実際のGamerGate騒動は、既得権益化したゲームジャーナリズムの疑惑を明白にするためにゲーマーたちが起こしたネット上の議論だった……。

 それでは疑惑と炎上の後、対決色がいよいよ濃厚になってくる後半戦に目を向けてみよう。


■アニタ・サキージアンが巻き起こしたもの

  GamerGate騒動を理解するためには、彼らがもっとも批判のやり玉として挙げているアニタ・サキージアンと彼女の言説、そしてその言説を巡る対立……を避けて通ることはできないだろう。

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 Anita Sarkeesian[ アニタ・サキージアン ](敬称略)は、FemFreq[Feminist Frequency]を運営する代表的なラディカル・フェミニストで、ゲーム批評家でもある人物だ。

 彼女を有名にしたのは、KickStarterで158,922ドルの資金調達に成功したことで制作した批評動画「Tropes vs Women」シリーズだった。

 Damsel in Distress: Part 1 - Tropes vs Women in Video Games

(Part1とPart2には日本語字幕をつけての視聴が可能)


 この動画シリーズは、ゲームキャラクターのTropes(象徴)を扱ったとするもので、既存のゲームに登場する女性キャラクターたちの多くが、「Damsel in Distress(悲嘆の女性)」と呼ばれる、受け身で無力な状態に陥った、悲劇的な役割を押し付けられがちだとして、そのプロットの原型がユーザーの女性蔑視を助長している(かもしれない)として批判している。

 この言説の他には、女性キャラクターのデザインにおいて、(ボディースーツなど)体のラインを強調したものが多く、それは女性蔑視がゲーム業界に蔓延しているからだと批判しているものがある。女性キャラクターのデザイン論と「Damsel in Distress」というTropes論が、アニタ・サキージアンの主張の二本柱となっている、と言えるだろう。

 この動画シリーズのPart-1は、2016年3月現在、発表されてから3年で250万再生を上回っており、批評動画としては破格の再生数を叩き出している。


 ちなみに、FemFreqは女性だけで構成されているわけではなく、Jonathan McIntosh(ジョナサン・マッキントッシュ)[ https://twitter.com/radicalbytes]という男性がプロデューサーを務めている。

 彼はゲームや漫画がオタクのものである時代は終わったとし、ゲームだけでなくアニメやアメコミといったサブカルチャー全体を批判する批評家でもある。

  彼の批判がどんなものか見てみよう。

https://twitter.com/radicalbytes/status/596892885259288576 (ツリーを見ることで現地のアニメファンとの交流?が見られる)

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(意訳)「あなたが耳にするアニメファンの言う”ファンサービス”とは、ほとんど常に”露骨な女性の性的物質化”というコードである。…そして、時計じかけのように、過剰なアニメアバターがふいに出現してくるのでブロックします」

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「アニメが女性を性的に物として扱っていることと、アニメファンの多くが「女性を性的な物として扱っているのは問題ない」という考えを持っていることの共通点を、私は「怪しい」と疑います」

「私のアニメツイートに対する半分のリプライは、「でもでも、シャツ一枚着ていない男もいるから、だから、少女の性的物質化もOKだ!」というもので、残りの半分は、少女の絵を貼ってくるものだ。ブロック、ブロック、そしてブロック」 (訳者注:ああ、海外にも”ブロック神拳”伝承者が……)

 彼に対しては、FemFreqがメディア露出する際には裏にひっこんでいるため、「アニタ・サキージアンを看板に使っているのでは」という批判も根強い。 


 このFemFreqと、GamerGate運動とがかちあった。

 日本でされた報道では、アニタ・サキージアンに対する批判を、”GamerGatre騒動が飛び火し、騒動と関係のない人物への個人攻撃に発展した”と報じ、その証拠に、(それが彼女の自己申告でしかないことは報道しない形で)彼女の講演がGamerGateからの殺害予告によって出演を取りやめたことを挙げているが、すでにラディカル・フェミニストは以前からゲーマーたちを”女性嫌い(Misogyny)”だと批判しており、アニタ・サキージアン自身はその先方となってゲーマーやGamerGate批判を展開していたために注目が集まった、といった方が真相である。

 重要なのは、アニタ・サキージアンが主張している言説は、ラディカル・フェミニストや大手メディアのジャーナリストたちが、女性キャラクターやゲーマー文化を批判する際に、必ずと言っていいほど論拠として参照されている”理論的支柱”であったという点だ(Part-2後半[記事リンク]で紹介したKotakuの記事も、ドラゴンズクラウンのソーサレスのTropesを問題視し、それをゲーム業界に女性蔑視が蔓延している証拠だとバッシングしていたことを思い出してほしい)。

 GamerGateにおいて、”報道と表現の自由を取り戻そう”というコンセプトが定まった時、アニタ・サキージアンの”ゲーム業界に女性蔑視が蔓延しているとするロジック”に批判が集中するのは、ごく自然な流れだったと言える。

 中でもGamerGateの半年前に発表された「Tropes vs Women」シリーズは、ゲーマーたちがそれまで親しんできたゲームの歴史を、女性に対する低い認識が採用されてきた文化だと規定し、ゲーマーたちから広く尊敬されているゲームクリエイター・宮本茂を繰り返し批判するという挑戦的な内容で、当時から一般ユーザーからの批判を浴びてきた。



■Youtuberによるクレバーな反論

  では、実際に、この動画に対してゲーマーたちはどのような反論を展開したのだろうか? 

 その内容がどのようなものであったかは「Tropes vs Women」の関連動画や、検索すると表示される大量のパロディ動画が物語っている。一例を紹介しよう。


●Feminism versus FACTS - https://www.youtube.com/watch?v=QJeX6F-Q63

 Feminism versus FACTSは、「Tropes vs Women」からわずか一週間後(GamerGate勃発の半年前)にアップロードされた反論動画だ。

 「Tropes vs Women」で行なわれた説明が意図的に捏造されたものだとして、一つ一つ事実を示してしていく……というスタイルとなっている。例えば「Tropes vs Women」Part-1の20分30秒以降で、女性が「悲嘆の女性」として描かれている例として、ゲームの冒頭で連れ去られるダブルドラゴンのヒロインを挙げられているが、実際のゲームでは、ヒロインはエンディングで最後ボスの股間を殴るシーンがある(誘拐された怒りをぶつけている)ことを挙げ、「Tropes vs Women」の引用が作為的だと主張している。

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 これは「Tropes vs Women」を視聴した際、私も疑問に思ったことなのだが、アニタ・サキージアンはゲームの動画を引用する際に、引用元のデータを意図的にチョイスし、シーンを編集した上で引用するという、しばしばレポートなどを執筆する際にも御法度とされている編集手法を多用している。

 誰もが知っているピーチ姫を例にあげよう。ピーチ姫には、たしかに魔王クッパにさらわれるシーンは存在する。だが実際は、他にもさらわれたり、魔法をかけられ動物に変えられるキャラクターはたくさんいるのだ。ヨッシーアイランドのように、マリオが無力な存在になる例もある。しかし、悲嘆の女性を説明する際にそのことには触れず、動画ではあくまでピーチ姫がさらわれるシーンのみを抽出し、「ピーチ姫(女性キャラクター)だけが受動的である」という解説を加えるのだ。そして、Part-2などシリーズを変えた後や、30分・1時間ほど動画を視聴させた後で、キノピオの例を出し、「これは「悲嘆の女性」を元にした派生型にすぎない」とか、ピーチ姫が操作可能となっているマリオカートなどは「派生作品は例に入れません」などと短い補足を加え、処理してしまうのだ。 

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 「悲嘆の女性」の例として右のみを例として提示するのか、左右を同時に提示するかで、印象はかなり異なるのではないだろうか。「悲嘆の女性」の”基準”は、はっきり提示されておらず、マジックワードになってしまっている。

 Feminism versus FACTSでは、キャラクターが犠牲となる表現は”愛情を求められている”とプレイヤーに思わせる意図だと解釈するのが一般的で、それは市場原理を目的として作られてきた表現で、一般的な常識にも反しない、と反論していく。その上で、もっともゲームを批評することは悪い行為ではない。しかしアニタ・サキージアンは「フェミニスト」という立場から批判しているのであり、「女性全般の意見」であるように主張すべきではない、と反論している。 


8 Anita Sarkeesian FAILS | #FemFreq - https://www.youtube.com/watch?v=WgvYJ9Ei90Y

 2016年01月28日に発表されたこの動画は、それまでの代表的な「Tropes vs Women」に対する批判をまとめ、ランキング形式で紹介していく内容だ。英語がわからなくとも理解できるので個人的にもオススメである。

 まとめると、

8位-キノコ族の女性キャラクターが少ないという批判は嘘(実際は多く登場する)

7位-Hitmanの女ダンサーを殴り殺しその死体を隠すアクションはあくまで分岐の選択制で、もちろん男も殴り殺せる。しかもゲームの目的は隠密行動であり殺人が推奨されているわけではない

6位-男性のダンサーもいて平等に殺せる

5位-「殺してくれ」と嘆願する多数の男性ゲームキャラクター

4位-「Tropes vs Women」シリーズの引用動画はすべて他人のプレイ動画をパクったもの。”研究目的”の名目で集めた資金は何だったの?

3位-女性キャラクターが少ないって? じゃあ女性キャラクター言えるかな?の歌でも歌うか

2位-ゲームは女性蔑視の温床? なんか昔、暴力の温床って言われた時に似てるね。その時、ゲームとプレイヤーの精神には影響関係はないという研究結果が出てるけど。その批判に、コメント欄を閉じて、ジャーナリストの質問からも逃げているのはなぜ?

1位-2013年のアニタ・サキージアン「私はゲームを愛しているゲーマーで、キャラクターの専門家です」。2010年のアニタ・サキージアン「私はゲーマーではありません。よく知らないので勉強している最中です」


●More than a Damsel in a Dress: A Response - https://www.youtube.com/watch?v=HJihi5rB_Ek

 アニタ・サキージアンを攻撃しているゲーマーたちは、「白人優位主義者の右翼の4chanネラーの男性」だいう報道に反し、女性の立場からの批判も多い。この動画もその一つだ。

 その主張は……(意訳)ラディカル・フェミニストの解釈は、ゲームをネガティブに解釈したものでしかなく、また、腕力や行動力のみをポジティブな要素として解釈していることには同意できない。実際のゼルダ姫やピーチ姫は、受動的な、無力な状態に置かれたキャラクターではなく、世界の秩序を象徴した権威者であり(だからこそ、誘拐されることで秩序の喪失が起こる)、勇者を導き、時に勇者と共に戦う役どころであり、勇者に求められている役割も「お姫様を救う」のではなく、「私心を捨てて世界を救うこと」である、と、自分は解釈している。自分はアニタ・サキージアンの批判全般を否定しているわけではなく、彼女の意見に同意しなかったり、自分自身の意見を持つ権利も当然あると考えているにすぎない、と、いったような主旨だ。


 コメントも一つ紹介したい。8 Anita Sarkeesian FAILS のコメント欄で、girlygeek43さんはこのようなコメントを書き込んでいる。

「私自身はフェミニストです。私が思うまともなフェミニズムとは、女性が社会から見下されることを望まず、そのために性が等しく扱われなければならないということです(女性が犯罪を犯した場合、男性と同じように処罰されるように)。しかし、アニタ・サキージアンは女性キャラクターがどのように描かれているか、ではなく、キャラクターの服を見ているにすぎません。ファイアーエンブレムのルキナを見てほしい。しかも、あのゲームでは結婚することもできる。それに二次創作では実に多くの女性が、個人的な妄想として筋肉質の男性を描いていることにも注目しなければならないでしょう」

 

■もう一人のフェミニスト Factual Feminist

  女性の批判者の中には、フェミニズム学者・Christina H. Sommersも加わることになる。

Are video games sexist?


 フェミニズムの研究者という立場から、「ゲーマーやゲーム文化は、それが若者文化であるがゆえに、差別の温床となると批判されがちだが、実際には、若者たちは以前の世代よりも女性に対する偏見や犯罪率は減っていると調査で判明している。ゲームは恐れる対象ではなく、市場原理によって、より公平な、誰もが遊べる文化として育ってきた。みなさんもゲームをしたいならどうぞしてください」と、ゲーマーたちを擁護し、ゲーム文化の価値観を支援する内容となっている。

 また、「なぜゲーマーという括りでとらえ、その中から少しでも非常識な行為が目につくと、ソシオパスの確率を考慮せず、すぐにゲーマー全体の性格として報道するのか」と疑問を呈している。この批判を聞くと、日本人としては、欧米におけるGamerGate報道が、日本の”オタク報道の理不尽さ”と同じものであることがわかるのではないだろうか。

 クリスティナ・ソマーズは、Twitter上でGamerGateタグをつけて、GamerGateの参加者たちとも積極的に交流しており、後にGamerGateが企画したOFF会や討論会にも参加した。

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ワシントンD.C.で開かれたGamerGateのOFF会 様々な性、人種が参加

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GamerGateが企画したマイアミでの国際討論会での一幕。有志のジャーナリストやデベロッパーが集結した。写真左の男性は、GamerGate参加者でイギリス人ジャーナリストのMilo Yiannopoulos。後ろに警官が立っているのは、何者かによる爆破予告があったため。


 GamerGateは、その議論が波及していく中で、MarkKernなどのゲームクリエイターが中立的ながら理解を示したり、またゲーム業界に属さない様々な立場の人々が参加することとなった。ソマーズさんの他にも、ジャーナリスト(Milo Yiannopoulos)やポルノスター(Mercedes Carrera)、他派のフェミニスト(Cathy Young)などがいる。

  Roninwroksは、スウェーデンの独立系ゲームメディア・TGG[The Gaming Ground]と共同で、MarkKernへのインタビューの日本語訳を行ったので、西洋の一ゲームクリエイターがどのような考えを持っているかに興味がある方は、そちらもどうぞ

 A message to Japanese game developers from an US game developer [記事リンク]


■握りつぶされた批判

 このように、実際に中身を見てみると、GamerGateは、非暴力的で、ロジカルな反論が次々と提出されており、必ずしも世間の報道とは一致しないことがわかるのではないだろうか。

 特にネットだけに留まらず、様々な立場の人々がゲーマーの味方を表明している点が日本のネット運動と異なる、と言えるだろう。それも自然発生的に起こったわけではなく、すべてゲーマーたちが働きかけた成果であり、彼らの中にゲーム文化を守ろうとする情熱があったからにほかならない。


 アニタ・サキージアンのゲーム論は「そう侮ることはできない」と個人的には考えている。ゲームの象徴を論じるという、アカデミックな装いをした”抽象的なテーマ”を扱い、(他人のプレイ動画をコピペしただけだが)多くの参照元を示した映像という”データ量で畳み掛けてくる”内容となっていて、ゲームを知らない人間が容易に反論できないようなレトリックが使われているからだ。

 また、動画の中では断定表現を避け、あくまで「このような可能性もある」と主張し続ける。 ゲーム好きをアピールすることも忘れていない。  

 「ゲーム業界が女性蔑視を採用してきた」という常識では容易には同意できない意見を、”一つの批判”として人々に了承させ、業界やユーザーの一部でもその批判を了承したが最後、その批判を業界にねじ込み、自分たちの立ち位置を確立し、利権を要求する。それはFemFreqにかぎらず、善悪関係なく、政治団体の常套手段だ。

 ゲーム産業の方が、このような人間が参入してくるほどに巨大なサブカルチャーとして成長した……ということなのだろう。そしてサブカルチャーは多く、そういった圧力に対して抵抗する認識が低く、しばしば”批評ゴロ”の活動が受け入れられてしまうのだ。


 このゲーマーたちにとっては、「ゲーム文化に対する侵略」とも受け取れるアニタ・サキージアンの批判に対し、ゲーマーたちは、いちいちTropesに説得力があるのかどうかを検証し、ゲーム動画の前後の部分を探し出し、その作為性を客観的に示すことで、多くの人々に正論を訴えかけようとしている。

  しかしながら、現状、このようなまともな反論群は、多くのメディアではまったく記載されていない。個人攻撃として一括され、黙殺された。

 ジャーナリストたちは以前から、ラディカル・フェミニズムの意見を採用することを仲間内で決定しており、すでにキャンペーンを始めてしまっていたのだ。もう後には退けなくなっていた。そして、一部のゲームデベロッパーや、ゲーム文化をよく知らない大半の欧米人は、ジャーナリストたちの証言を信じた。匿名の盛り上がりよりもメディアの報道を信じるという、日常感覚的には当然の選択をした、というだけだが。 

  しかし、少なくとも、上に挙げた反論動画や動画の下で行われている議論を見るだけで、一般の人々も、アニタ・サキージアンの持論を受け入れることを保留することは容易に想像できるのではないだろうか。

 現時点では、大手ゲームメディアとゲーマーたち(TwitterやYoutubeの個人メディア)との対立は、アニタ・サキージアン事件を境にして決定的となり、ゲームジャーナリズムが「ゲーム業界が女性蔑視を採用してきた」とする意見を取り下げないかぎり、その関係が修復されることはなく、紛争状態が続いている。


 ところで、当時のGamerGateは、ジャーナリストからの「白人優位主義者で右翼の男性=ゲーマーたちが起こした女性蔑視運動」という報道の包囲網にどのように抵抗したのだろうか?

 彼らは、このネガティブ・キャンペーンに対抗するために、あるオペレーションを発動した。


■NotYourShieldと、その運動に対するゲーム業界の幼稚過ぎる反応

  この動画を見てほしい。

 Giving Voice to the Voiceless: The #NotYourShield Project

 NotYourShieldは、GamerGateを「白人優位主義者で右翼の男性=ゲーマーたちが起こした女性蔑視運動」だと報じるメディア報道の虚偽性を示すために、女性ゲーマーや少数民族などのGamerGate参加者を浮上させるために開始された運動だ。結果的に、様々な人々がYoutube上で名乗りをあげた。その動画をつなぎあわせたものが上の動画となっている。

 この作戦は単純だが、一つの明確な証拠として有益だった。

 他にも、GamerGateの旗の下で複数のオペレーションが進行していき、少しづつではあるが正確な認知が広がっていった。例えば、Operation Disrespectul Nodはゲーム業界関係各社にメールで説得を試みようとするオペレーションだ。

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ビビアン・ジェームスの手に握られているのは手紙だ。 GamerGate報道への皮肉なのか用心なのか、GamerGateは健気なほどに対話を重視する。

 その戦略が幸か不幸か、“雲行きが怪しくなってきた……。”と相手陣営に思わせたのだろう。こういった活動を、傍目で見ていたゲームジャーナリストたちやラディカル・フェミニストたちは、一番していけない反応を返してしまう。

 この動画は、GDC2015[Game Developers Conference]において、ゲームクリエイターのTim Schaferが披露したSock Puppetという”ジョーク”だ。

 Sock Puppetは向こうのネットスラングで”自作自演”という意味だ。Tim Schaferは靴下をNotYourShieldを表明した女性ゲーマーや少数民族に見立てたジョークを行うことで、「どうせGamerGateゲーマーの自作自演だろ」と嘲笑したのである。

 このような差別的なネタをゲームイベントで披露できていること自体が日本の常識からすると信じられないのだが、それどころか会場の観客はそれを見て笑っているのである。……これが、現在の欧米ゲーム業界の一面なのだろう。

  当然、ネット上で反響を呼んだ。

 しかし、 ゲーマーたちはもはや相手の挑発に乗るような行為は起こさなかった。 GamerGateは、あくまでアイロニーによる反撃を試み続けたのだ。

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絵 KuKuruYoによる “GamerGate life”シリーズ-http://kukuruyo.com/comic/gamergate-life-31-english/


 この騒動が引き金となったかどうかは定かではないが、連日のように炎上事件が続き、ラディカル・フェミニストたちが始めたStopGamerGate2014運動も盛り上がらず、議論において劣勢だったために、ゲームジャーナリズム&ラディカル・フェミニズム陣営は、仲間内でBlockbotと呼ばれる、登録したアカウントを一括してブロックするtwitterアプリを推奨しはじめた。

 名目上は「GamerGateからの暴力を避けるため」となっているが、一度も交流していないアカウントもブロックリストに入っているために(私のような英語の話せない人間も入っている)ので、対話の拒否だと批判された。

 GamerGateがネット上だけでなく、様々な立場の擁護者を揃え、社会的な意味でも対話が可能となった頃には、相手陣営はミロやサマーズさんの申し出を無視、断り続ける、という姿勢を示すようになっていったのだ。

 ゲーム文化は、決裂した。

  この状況を俯瞰して見ると、一般大衆紙やゲームメディアといった旧メディアでは、ラディカル・フェミニズムの論調を採用し、SNSや掲示板文化とその参加者といった個人メディアの間では、ラディカル・フェミニズムの拒否を選択した、と言えるだろう。



■総論的なもの 騒動の後で

  前回から、ざっとではあるが経緯を追うことで、GamerGateのだいたいのあらましを理解してもらえたと思う。

 ラディカル・フェミニズムの「父権制史観と象徴論によって、ゲームやクリエイターをsexismと断定し排除する」という一つの倫理を採用することで、(おそらく)ゲーム文化に対する社会的な信用を高めようと、その方針を推し進めていたゲームメディア。

 一方で、一つの倫理を基準にゲーム作品や文化を糾弾するメディアの手前勝手な”ジャーナリズム”に対するゲーマーたちの不満や不信感は以前から積もり積もっており、GamerGateをきっかけとして、この水面下で進行していた両者の対立は決定的なものとなった。

 とはいえ、ゾエ・クイン氏を巡る事件をきっかけに勃発したGamerGateは、両陣営にとって予想外の出来事であり、お互いに抗議や反論の手法には未熟な部分もあり、内外に大きな混乱をもたらした。

 未だにGamerGate騒動に対する一定した評価が現れないことからも、騒動は誰にも全体像が把握できないほど込み入っていることがわかるのではないだろうか。あとは後世の人々の判断に委ねられるか、このまま対立を続けていくか、となるだろう。

 ネットメディアのゲームジャーナリストたちは、一部のゲーマーの意見をシャットアウトすることを合意したと思われる。彼らは、あいかわらず自分たちの手法を改めることもなく、ラディカル・フェミニズム的な価値観をゲーム業界に普遍化させようと務めている。

 彼らは、大衆の有名メディアにもコネを広げることで、日本のGamerGate報道を見てもわかる通り、白を黒に塗り替えるほどの報道包囲網を発揮できるほどの力を有し始めている。

 しかし、ハルク・ホーガンのセックステープ流出事件で、Gawkerメディアが多額の賠償金を背負わされたように、欧米において、民主主義的な手続きを無視した行動がどれだけ維持できていけるかは疑問な部分もある。

 彼らとラディカル・フェミニズムとの政治的な繋がりはこれからも続いていくだろう。皮肉にも、「Tropes vs Women」シリーズがゲーマーたちからの顰蹙を買い、GameGateの批判の俎上にあがることによって、アニタ・サキージアンの名前は業界中に広まり、彼女にビジネスの成功を呼び込んだ。先日も、彼女の所属するFemFreqは最新シリーズの告知と、そのための資金調達に200,000ドルを掲げたばかりだ[Ordinary Women https://www.seedandspark.com/studio/ordinary-women#story]

 欧米のゲーマーたちについて。

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 私が驚いたのは、意外にも、欧米のネット空間やそこでの言説は、日本のネット空間ほどには感情的に傾く傾向が少なかったことだ。当初、私の目には、4chan民なども暴力的に見えて、気味悪く映ったものだが、実際に交流してみれば、多くの4chan民は、私の滅茶苦茶な英語に耐え、親切な扱いをしてくれるほどには、気さくな奴らばかりだった(前述のとおりケンカもしたので、全員がそうだと言うつもりもないが)。

 今回の記事で紹介したYoutubeの動画も、主張の内容は冷静で、誰もが納得できる即物的なものだ。欧米のネットには他にも、数人が集まって作る同人ゲームメディアが多数存在し、少なくない影響力を保持している。

 ネットは、個人ジャーナリズムとして、すでに一定の地位と読者数を持ち始めている。扇情的な記事で勢力を伸ばしてきたGawkerメディアも旧来のジャーナリズムに含めれば、GamerGateは「新旧ジャーナリズムの対立」として見ることもできるだろう。

 何らかの形でネットメディアを利用している欧米ユーザーの多くは、ゲームジャーナリズムに懐疑的であり、批判的な見解を持っている。そしてネットを見ている限り、彼らは活動的で議論好きだ。

 ネット上のゲーマーのすべてがGamerGateに参加していたり好意的であったりするわけではないが、GamerGateは欧米のゲーマーたちがネットを介し団結できることを示した初の運動だった、と言えるだろう。

 今回は4chanでの炎上が発端となったために、ネガティブなイメージが浸透させられてしまったが(GamerGateというより、その前の芸能人の写真流出事件のイメージが先行していたのだろう)、再び何らかの対立なり騒動なりが勃発した時、今回の騒動で批判のノウハウを習熟させたコアゲーマーたちは、ゲームジャーナリズムにとって”やっかいな相手”となることは必至だ。


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 私のサークル[Roninworks]が提供したビビアン・ジェームスのイラストを「サンドバックごしに暴行した」と誇らしげにツイートするラディカル・フェミニストの女性(図左)。そこでGamerGateがした”報復”は、議論とアイロニーだった(図右)。


 GamerGate騒動は日本に住む人々にとっても無縁ではない。

 もっとも関係があるのは、ビジネス上のリスクだろう。これから日本のゲームクリエイターやゲームコンテンツを海外展開する時には、常に「女性キャラクターが少ない」とか「デザインが蔑視である」と意図的に低い評価をされたり、「日本が隆盛していた頃のゲーム業界は差別で満たされていた。あなたはどう思うか?」と議論をふっかけられることになるだろう。ドラゴンズクラウンがすでに被害にあったように、ネガティブ・キャンペーンを敷かれるリスクも無視できない。 

 批判の範囲も無制限だ。アニタ・サキージアンの動画を見ても分かる通り、批判の矛先に挙げられている”性的な表現”の多くは、マリオが批判されていることからも分かる通り、それまでレジェンドとして扱われていた日本のゲーム作品や漫画アニメのキャラクターであり、日本人が考える性的表現のみが対象になっているわけではない。その上、批判の”基準”も明瞭ではなく、ジャーナリストやフェミニストが指差した瞬間に、それは始まるのだ。

 また、ストリートファイターⅤのように自主規制を行ったとしても、批判が一時的に止むだけで評価が回復するわけでもなく、別の批判点が見つかれば、また批判が再開される……終わりはないのだ。

 ゲームにかぎらず、漫画アニメなどキャラクターを扱う日本のコンテンツは、海外展開する際、思わぬ形で足を引っ張られるリスクが日に日に増している。

 GamerGateとはまったく別の次元で、日本のコンテンツ産業は岐路に立たされている、と言えるのだ。

 私は未だに、このキャンペーンを思想対立ではなく、勢いの衰えてきた日本のゲームを市場から排除しようというビジネス的な戦略が背後にあるのではないか、と疑っている。


■結論に代えて ”騒動の元凶は誰にあるのか”

  すべての対立の元凶を作ったのは、欧米のゲームジャーナリストたちである。”ネットハラスメントが存在した”と仮定した上での見方でも、その責任もすべて彼らにある、と私は考える。

 Part-3で紹介したGameJournoProsを見てもわかる通り、彼らはメーリングリスト上などで「どの作品を評価するか」や「どういった価値観を優遇するか」を話し合っており、そこで決まった方針が実際に実行されていることがGamerGate騒動の渦中で明らかになった。

 そして、”西洋のジャーナリズム”という権威(ブランド)によって、ゲームジャーナリストたちの報道が絶対視され、それが事実として拡散してしまうことも……。


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 訳(黄線部分・意訳): Kyle Orland氏「私は、女性叩きのいいわけとしてのクソ”ジャーナリズム精神”なんて用意するつもりなんて、これっぽっちも考えちゃいないぜ」「この事件(GamerGate)への懲罰を私のプラットフォームを使ってできたらいいなぁ……ww」「ひょっとすると、私たちは他の話題をメディアの見出しにするよりも、Twitterを刺激すべきかもしれない」「ひょっとすると、私たちは個人攻撃に対するジャーナリストとデベロッパーの公開状を取る必要があるかもしれない」「ひょっとすると、私たちはこの事件への注目をいいわけにすれば、彼女の仕事や鬱クエストに対するレビューを注目させることができるかもしれない」


 GamerGateの人々は、これを不正や談合の証拠としてとらえ「金銭的な目的を理由にラディカル・フェミニズムが推進されている」と批判しているが、私は少し別の目線からとらえている。

 それは、”ジャーリストを自称している連中の持つ正義感の暴走”だ。

 彼らにも利益を度外視して動いている部分はある。ネット上で行われている(とされる)ハラスメントに本気で激怒しているように読めるからだ。しかし、彼らの正義は、反省や検証のない自分勝手なものであり、ジャーナリズムの理念とは程遠い。彼らが職業倫理を持ちあわせているようには見えない。

 そもそも彼らが危惧している「女性デベロッパーに対する反対運動」は、彼ら自身が推し進めてきた「開発者が女性というだけで、その人間のゲームや社会的立場を優遇している」という癒着への疑惑から端を発しているのではないのか? しかも、メーリングリスト上では、その疑惑がほぼ事実であったことを自白しているのだ。

 「女性特権」を作ることが逆に女性に対する差別であり、ユーザーの反発を招くことなどは、ある程度の常識があれば誰もが立てられる予測だろう。

 自分たちが先導した裏工作によって起きた弊害に気づかず、あまつさえ何の裏付けもとらずにネット上の声を個人へのハラスメントだと断罪し、しかも仲間とつるんで、自分たちに有利な記事をばらまこうとしはじめるその態度は、独善を通り越して野蛮ですらある。彼らの倫理意識が、業界の腐敗を物語っている。


 ゲームが社会からの注目を集めたことで、ゲームジャーナリストたちの行うキャンペーンが、様々な場面で、弊害や対立の原因を生み出し始めている。

 ゲームクリエイターや一般大衆誌が、よく知りもしないのにGamerGateを批判しだしたのも、それらの業種の人々がゲームジャーナリストたちと知り合いだったり身近な存在であったために、ジャーナリストたちを信用し、彼らからの情報を信じてしまったからだろう。そう考えると、欧米のゲームジャーナリストたちがもっている影響力を過小評価することもできない。その力は、彼らの能力とは反比例して、強大だ。

 このような水面下で進行していた問題を明らかにし、彼らを冷笑する雰囲気を作ったことだけでも、私はGamerGateを評価したいと思う。しかし、このような利権構造ができてしまったかぎり、まだまだ彼らの存在は、私たちに迷惑をかけ続けることになるだろう。


 GamerGateに対し興味を持ち、またこの記事を読んでくれた人が、欧米からやってくるニュースに対し(無視することなく)適度な距離感で、各々の意見を持ってくれたら、と思う。

 




ゲームから”美少女”が消える日 ~GamerGate参加者が語る欧米社会の今

Part-1  Part-2   Part-3  Part-4



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■GamerGateは藪の中

  ここ数年、洋ゲーマーや海外ニュースをチェックしている人にとってGamerGate(ゲーマーゲート)はお馴染みのフレーズだろう。

 あるゲームメディアによれば、GamerGateは、4chanにたむろしている白人優位主義者や過激な右翼ゲーマーによるネット炎上事件、女性叩き事件として報じ、”アンチフェミニスト”運動のような認識が一般化している。

 かと思えば、そのような”単なる炎上事件”にしては、いやに長く燻り続け、一見関係ないように思える話題にもGamerGateの名前が持ちだされるので、この騒動の影響の大きさを不思議に思った人も少なくないのではないだろうか。

 中立的な記事では、GamerGateは「ゲームジャーナリズムを問う民主運動としての側面を持つ」と補足が付け加えられることもある。

○Access Accepted第440回:北米ゲーム業界を揺るがす“ゲーマーゲート”問題-http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20141107133/

 「ゲーム業界でのフェミニズム運動と,過剰な抗議」,そして「ゲームジャーナリズムとゲーム業界の癒着疑惑と,それに対する批判」である。

  しかし、「女性への攻撃」と「ゲームジャーナリズムを問い直す運動」がどこでどう繋がっているのか……それとも、そもそも別々の騒動なのか、日本のニュースを見ていても、よくわからない。

 その上、GamerGateの解釈を巡っては、欧米の中ですら定まっていないために、英語圏のメディアをチェックしている人でも、実態をつかみにくい。

○Wikipedia-Gamergate controversy- https://en.wikipedia.org/wiki/Gamergate_controversy

○Know your Meme-GamerGate-http://knowyourmeme.com/memes/events/gamergate

 冒頭を少し読むだけで、記述がまったく異なることがわかる。Know your Memeでは、Wikipediaの創立者であるJimmy Wales が、Twitter上でGamerGateの項目で激しい編集合戦が行われた、と伝えたことを記載している。

 騒動の発端や現場がネット上で起こったこともあってか、向こうでも情報が確定せず、解釈が別れてしまっている。

 有名ゲームクリエイターがGamerGateについて言及することも少なくない。つい先日も、Minecraftを作ったことで知られるMarkus Persson(通称:notch)氏がGamerGateを表明したばかりだ。

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https://twitter.com/notch/status/704828353627295744

 訳:なぜ多くのSJWたちが私をフォローしているのかわからん。私は最初から明らかなゲーマーゲーターです。ちょっと言いにくいんだけど(SJWは)どうぞフォローをはずしてください

  それぞれ別々の証言をしていて、事の真相が何なのかわからない。まるで”藪の中”だ。しかし、今やゲーム産業の中心が欧米にあるために、この事件を無視できない人も大勢いることと思われる。

 ゲーム産業でビジネスをしている人、または表現の自由を考える人、洋ゲー好きなゲーマーなど、日本でも様々な立場の人々が、西洋のゲーム文化を真っ二つに隔てたと言われるGamerGateに対する正確な理解を必要としている。

 そこで、このPart-2では、ここ一年半ほどGamerGate戦争に従軍(?)してきた日本人という立場から、文化戦争の難しさを理解してもらうことで、この騒乱の中心まで読者を連れていきたい、と思う。


 ■文化戦争の難しさ

  2016年現在、欧米のゲーム文化で進行している問題を、GamerGate側から要約するとこうなる。


 ゲームは、大衆からの評価や投資の対象として注目を浴びることで、それまで”サブカルチャー”というジャンル内で許されていたような、自由奔放さ、暴力やエロスといったクリエイティビティに対する風向きが強くなってきた。

 世間からの評価を受ければ、当然「なぜ暴力やエロスに価値を置くんだ?」という人々からの疑問が発生するのは当然の流れだろう。本来なら、この疑問にはゲーム業界の人間が積極的に答えていくべきだ。ゲームやゲームにおける表現が社会にとって悪影響を与えないこと、新しい価値を持っていることを言葉にし、大衆を説得すべきだが、そういった準備はできていなかった。

 反対に、自分たちに世間からの疑いや批判が及ぶのを恐れてか、もしくはゲーム業界への影響力を保持したいという政治的理由からか、一部の新興ゲームメディアは、空気を読むように、自ずから批判の先方を取る形で”世間の代弁者”といった態度を気取り、批判キャンペーンを展開しはじめるようになった(ライターたちが口裏を合わせて発言しだした)。

 といっても、彼らも、誰からも反論を受けない安全な立場から一方的に批判したい。そのためには、誰にでも正しいとわかる単純な言説が必要だ。そこで採用されていったのが、ラディカル・フェミニズムの主張だった。ラディカル・フェミニズムの方も、女性キャラクターという格好の批判材料を見つけ、ゲーム業界にくちばしを入れ始める。そんな中、登場したのがアニタ・サキージアンだった。彼女はゲームを批判するための言説をアカデミックな言葉で装飾し、理論を偽装してみせた。

 ゲームジャーナリズムとラディカル・フェミニズムとが結託することで、ゲームニュースやレビューにはますますバイアスがかかり、このバイアス(誤った認識)に基いて、国連などの様々な意思決定や議論の場が設けられようとしている……。


 これがGamerGateのメンバーや、一定の欧米のゲーマーたちの持っているゲーム業界に対する疑惑であり、解釈であり、背景である。

 そして、ゲームメディアや”声の大きい少数派”による既存のゲーム表現に対する批判という風潮が看過できないほど大きくなったために勃発したのがGamerGateであり、それにより発生した、バイアスで溢れたゲーム業界を変えようとするあらゆる運動もGamerGateとして糾合され、そう呼ばれるようになった。GamerGateのメッセージは、「ゲームジャーナリズムの腐敗を批判し、政治的に公平な議論を行おう」というものとなる。


 ――と、このような背景を知って、第三者がまず思うことは…… 

 「言われていることは何かわかるけど……そうは言っても、本当にそんなことあるんかい、決めつけや陰謀論なんじゃないの?」

  といった類のものだろう。

 GamerGate側の情報を訝しみ、信用しない……というのは当然の反応だろう。例え運動のメッセージが正しく、参加者に心意気があったとしても、未確定な情報や状況を元に運動が起こされたのなら、その意見に耳を貸すことはできない、という気がかりは、どうしても発生する。

  一方で難しいのは、その不信感を覆す情報が、あなたの前に提示されることもない、ということだ。

 まず日本では、GamerGateが批判している、欧米ゲーム産業の腐敗を報じたものや、ラディカル・フェミニズムが、女性やすべてのフェミニストを代表せず、別のフェミニストから批判もされている、という報道が一切存在しない。

 これは、日本では、大手メディアと広告会社、海外メディアなどが一枚岩で連携しているためだろう。そのため日本の大手メディアとコネクションのある海外メディアの報道のみが、日本に伝わってくる(英語系大手メディアで中立的な報道をしているのはForbesくらいである)。

 一方、欧米では、中小メディアも活発であり、中には数人で集まって運営している同人メディアまであり、各々が各々の立場から、自分たちの思ったことを報道し、その活動が支持されてもいる。しかし、そのような別系列のメディアと日本のメディアとはコネがないため、多様な情報が日本に届かない。日本では、GamerGateをアンチフェミニズム運動として書いたもので一色になっているため、女性叩き運動はあった=西洋ジャーナリズムの腐敗は存在しない、という所まで推論する人もいるかもしれない。

 その上、一定の人々には日本のメディアが参照している”西洋”のジャーナリズムの権威を信頼したいという気持ちもあるだろう。実は少し前までは私もそれを持っていた(そして失望した)ので、とやかくは言いはしない。

 ただその前提を覆すだけの労力を割くジャーナリストは出てこないだろう。というよりも、日本のゲームメディアはジャーナリズムではないので、それをする義務もない (別稿参照  補-日本でのGamerGate報道)。

  政治的背景を脱色したために、逆に情報が欠落したニュースもある。例えば、この記事を書いてる途中でたまたま見つけたこの記事などがそうだ。

○Xbox責任者、イベントパーティーでの制服ダンサーは「容認できない」

www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/20/news019.html

  ここで抗議しているBrianna Wu氏は、インディーズ・デベロッパーである前に、ラディカル・フェミニストの活動家として名を知られている人物だ。ラディカル・フェミニズムには女性の露出表現を一切許さない、もしくは女性蔑視である、という自分たちで掲げた共通の論理がある。それを背景にしてこのような批判が展開されている。

 しかし、日本の記事ではそのような説明はなされず、ある一人の女性開発者の声と聞こえるように報道している。


  文化戦争は、語るのが難しい。

 なぜ難しいかというと、それが事件ではなく騒動だからだ。事件とは、何らかの事が起きた結果であり、ある程度、評価が定まったものがニュースとなって私たちの耳に入る。しかし、この騒動は多くの疑惑を巡って主張が衝突しあう政治闘争という色合いが濃い。騒動そのものに、個々人の主張を引き出す力が働いており、当然、立場によって騒動の解釈は異なる(それはこの記事にもいえる)。

 最もやっかいなのは、GamerGate騒動においては、ゲームジャーナリズムも客観的な立場に立っているわけではなく、むしろ利害関係の当事者だ、という点だ。GamerGateは”既存のゲームメディアの在り方を問いなおす”反ネットメディア・ミーム運動であり、ゲームメディア・ニュースサイトは、GamerGateによって味方なり敵なりに振り分けられた一つの勢力であり、この騒動の結果によっては自分たちの存続すら危ぶまれる立場にいる。観察者ではなくプレーヤーなのだ。それゆえに中立的な報道は不可能だと考えていい。

 だが、中立的なメディアは存在しない、という事実・世界観が、日本の常識からすると受け入れがたく、にわかに信じられない、という気持ちもあるだろう。かくいう私がそうだった。

  こういった状況の中で、何の背景もない個人が、この絡まった異文化間の糸を解きほぐし、各々の立場の勢力図を正確に伝えるだけでも至難の業だ。

 私がこの1年半、日本語で何も伝えようとしなかったのは、そもそもブログ記事を書いた所で信用されるわけがない、と思ったからだ。特に日本では、少しでも政治的立場を明らかにすると、その人の提供する情報を信用しようとしなくなる傾向があるので、筆を取る気がしなかった(私はこの記事を書き出してからも「こんなこと書いても、無駄に敵を作るだけだろうなぁ…」と泣き言を言っていたりする。GamerGateの人々が頼むのと、雀の涙ほどの愛国心から、我慢して書いている)。

 その上、そういった実状をすべて話し終えたとしても、あなたはさらにこう言うだろう。

  「へぇ、それで欧米のゲーム業界の問題と、日本のゲームにどんな関係があるの?」

  ……それが、関係がありすぎるほど関係がある、と思っている。

 そこで、私は、ゲームジャーナリズムがどのような記事を書いているのか、実際に一つ挙げてみたい。あなたはそこで、欧米のゲーム業界の人々が持っている、美少女キャラクターに対する無理解や憎悪と出会うだろう。

 Part3以降は、GamerGateの推移を見ながら、今までの事情を直接見ていない人にも常識的に判断が下せるように、いくつかの題材を 取り上げ、実際に見せ、検証したいと思う。

  私はここであなたをGamerGateの一派にさせるつもりなど毛頭ない。ここでの私の役割は、あなたがGamerGateをあなたなりに理解することを手助けすることだ。

 もし、あなたがGamerGateについてコメントを求められたり、語ったりしなければならない時に、「ゲーマーによる女性叩きをどう思うか?」や「あなたは日本人だが、女性のキャラクター表現についてどう思うか?」といった、ある政治的立場から述べられる誘導尋問や誤った情報提供に惑わされず、あなたなりの意見を発信するための視座やヒントを与えたい、と思っている。

 あなたはこの記事を読み終わった時、こう言えるようになっているはずだ。

 「私は特定の立場に肩入れしませんが、公平な議論が行われることを望みます。」

  私たちすべてに共通しているのは、”ゲーマーとして関わってきたゲーム文化”という認識であり、パブリッシャーなら”ユーザーとともに歩んできたゲーム文化”という認識である。誰もが、その認識を大切にしたい、と思っているはずだ。

  その中で、私自身がGamerGateに参加した動機、テーマも織り交ぜて語っていきたい。

 つまり、西洋ゲームメディアの現在の方針が、後々、ジャパン・バッシングを引き起こし、日本のゲーム企業が展開しようとしているIPビジネスやそのブランド、ゲーム文化に大打撃を与える、という未来の可能性について。

  私たちは、この問題を見過ごすことが、ちょっとできそうにないのだ。


■GamerGateの批判する『ゲームジャーナリズムの腐敗』は存在するのか? -ヴァニラウェア・神谷盛治さんが受けたバッシング

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Dragon’s Crown-ソーサレス(左)とアマゾン(右)


 欧米では、ヴァニラウェアのDragon’s Crownに登場するソーサレスが、女性蔑視を助長させる表現(Damsel in Distress 悲嘆の女性という理由。アマゾネスはお咎め無し)だとして批判を受けた。

 以下の、米Kotakuのジャーナリスト・Jason Schreier氏の記事は、そのような背景から書かれたものである。


○The Real Problem With That Controversial, Sexy Video Game Sorceress[2013/4/23]-http://kotaku.com/the-real-problem-with-that-controversial-sexy-video-ga-478120280

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(短縮した意訳、全文は自動翻訳などで確認してみてください)

日本語訳

 二週間前、私(Jason Schreier)は、ドラゴンズクラウンを批判する一つの短い記事を書いた。すると、”そのキャラクターの背後に隠れたある男”が返信してきた。

 その私が書いたポストのタイトルは、”ゲームデベロッパーは、10代のガキが描いたみたいなキャラクターデザインを真剣にやめる必要がある”で、10代のヘテロセクシャルのガキがイタズラ書きした落書き帳から出てきたような、超セクシャルなソーサレスキャラクターを、卑猥だと指摘した、不機嫌な、短い記事です。

 私はそこでこう書きました。「ソーサレスは、14歳のガキによってデザインされた」と。そうしたらフェイスブック上で、神谷は返信してきました。

  神谷氏「KotakuのJason Schreierさん、あなたはソーサレスにもアマゾンにも満足されなかったみたいですね。そこであなたの好きなアートを用意しましたよ」

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 えぇ? おまえの女キャラクターが好きではないと、男性を好きになる必要があるって、そりゃゲイジョークか何かですか?

 アップデート:神谷は私にメッセージを送ってきたので、私と友人とでそれを翻訳しました。

神谷氏「ドワーフは軽い冗談のつもりでしたが、これほど大事になるとは思っていませんでした。私は自分の軽率さを残念に思います。すみませんでした。私はあなたの記事に対して悪い感情は持っていません」

  ちょうどいい機会だし、私は自分の批評をクリアにしたいと考えます。

 第一に、私は神谷を実際の14歳のガキだとは思っていません。まずそこをはっきりすべきだったことを謝りたいと思います。

 また、ここ数日で、いくつかのメッセージを受け取りました。「なぜあなたはマッチョではなくボインの姉ちゃんに不満を言うの?」「あなたはこのゲームが対象としている顧客じゃないってだけなのに、どうして文句を言うの?」

  なぜ? 私はそれが恥だから、公衆の面前で晒されていることが我慢ならないからです。私は日本のゲームやJRPGを愛しているが、この30年間、ゲームに染みついてきた少年倶楽部の醜い考え、趣味趣向を永続させてほしくはない。

  ゲーム業界に性差別があることを証明することは難しくありません。見よ、E3の入り口で、コンパニオンのベストショットを撮ろうとお互いに踏みあう汗まみれの男性カメコ連中を。これを読め、Twitterのタグ上で、ゲーム業界から疎外感を感じなかった女性デベロッパーを見つけることは難しい。

  私は、ソーサレスのデザインを、それ自体が独立した表現として見たり、無害な性的表現だと笑い飛ばしたり、ヴァニラウェア独特の、個性的なスタイルだとか認めたくありません。多くの女性が、ゲームをしたり、ゲーム産業で働いたり、ゲーム・イベントに出席し、気色悪いと感じ、正常でいられなくなっています。多くのゲームは男性により男性のためだけにデザインされてきています。

  (先ほどの「なぜあなたはマッチョではなくボインの姉ちゃんに不満を言うの?」という質問に応えるなら)ドワーフの特徴を言うなら、小型で、上半身裸のマッチョキャラクターは、ソーサレスの小さな服とセクシーな胸と同じように男性向きの、ファンタジーにおける力強さがストレートに反映されています。それは、ジュブナイルの漫画や古い雑誌やゴッドオブウォーなどに見られるものです。

 しかし、(私がソーサレスと同じようにドワーフを批判しないのは)ドワーフは、多くの男性を不快にさせません。男性のゲームクリエイターは受付嬢に間違えられたり、男性リポーターから本当にゲームをするかどうか尋ねられないので。

  ソーサレスの象徴はより大きな問題です。

  見よ、私は検閲官ではありません。 私はアーティスト自身が美しいと感じるものを描くべきではないと言っているわけではありません。私はアーティストを尊敬し、彼ら自身の表現の擁護者です。私はそのために、アートについて、一般の人々に向けて批評をすることが、批評の本質だと信じています。

 すべてのアートにはファンがいて、批評の対象に値します。私は特定の表現が存在してはならないとは言っていません。しかし、それがこのゲームがゲーム業界全体にとって害になると言うことをためらうことはしません。

 私は、問題のある表現は人々を惹きつけるよりも、追い払うと思っています。おっぱいを描いて人を集めることは、創発的な挑戦ではありません。私はそれを美しいと思いません。

コメント(2363リプライ)

FantasticBoomさん

 私にとってこれ以上ないくらい。あなたが礼儀正しく対応したことに敬意を表します。あなたは高い位置から話し、あなた自身の意見をより正統にしました。非常にいいジャーナリズム。

Aikageさん

 ソーサレスは本当に問題です。12歳の顔に20歳のポルノ女優の胸。以下省略。

 [翻訳終わり]


■批判の類似点

  どうだろう?

 私の個人的な感想を言えば、私は神谷盛治さんのアートワークやデザインはすばらしいと感嘆こそすれ、女性差別だとは思わない。それとは別の次元で、この記事は、一クリエイターに対し向けられるべき言葉でも態度でもない。批判ではなく単なる侮辱であるし、読んでいるこっちまで腹が立ってくる。これではまるで一メディアが、炎上の原因を作り出しているようなものだ。

 だが、実を言うと、私はここでこの記者の言葉の悪さや論理性の稚拙さについて、ことさら言及するつもりはない。それには風土や文化の問題もあるからだ。このような罵倒も、向こうではアバウトに容認されているのかもしれない(女性キャラクターが容認されていないだけで)。

 中には、このような記事は、ある特殊なケースであり、一般的ではない、と言う人もいるだろう。まさかこんな低レベルの主張が多数派なわけがない、ゴシップメディアの記事を意図的にチョイスしてきているだけだろ、と。


 例えそうだったとしても、この記事を読むことで、実はいくつか判明した事柄があることに、あなたはお気づきだろうか?

 この記事の善悪は置いておいても、Kotakuはゲームメディアの大手ではあるものの、ジャーナリズム性を期待されたメディアではなく、これがライターが自由に書いたコラムであることは、誰にも予想がつく(ただJason Schreier氏自身は「Kotakuのスタッフはブロガーではなくジャーナリストだ」と証言している。https://twitter.com/jasonschreier/status/504450320920240128 これはKotaku自身の願望を意味してもいると解釈してもいいだろう)。

 だが、ここで、Part-1で紹介した国連からの通達文

“Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women.”

や、ここで紹介した

Xbox責任者、イベントパーティーでの制服ダンサーは「容認できない」

www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/20/news019.html

  を読みなおしてもらいたい。この無作為に選んだ記事とKotakuのゴシップ記事との間に、共通点を見いだせはしないだろうか。 

 どれも、女性の社会進出の問題とは別のところで、

  1.  女性蔑視と女性表現(肌の露出、キャラクター表現)を結びつけて問題視し、批判している
  2. 女性表現の拡張ではなく、縮小や統制を目的にして批判している
  3. 女性キャラクターの”象徴”を問題視している 

  という特徴が見い出せるのだ。

 つまり、これらの記事の批判者は、各々の印象を述べているのではなく、その背景には、共通の批判点や論点がある、ということだ。

 その共通の批判点や論点を踏まえた上で、過去のニュースを読んでみよう。裏舞台でどういった意見の対立があるのか明白になるのではないか。

○Metal Gear Solid Vの新キャラクターが「セクシー」すぎると業界内で批判、しかしユーザーは歓迎 -http://www.businessnewsline.com/news/201309112048390010.html

  記事と記事の”点”と”点”を繋げることで、一つの”線”が浮かび上がってくる。そして、その”線”こそが西洋が今抱えている問題であり、政治なのである。もっとも、それを”点”のまま報じ、一つの背景が見えることを避けるように日本のメディアは報道してしまっているのだが。

 Kotakuの記事などに見られる共通の特徴は、他の欧米の女性問題を報じたニュースをあなた自身で確認することで、より確信できるものになるだろう。また、この特徴を持たないニュースを知ることで、フェミニズムの多様性を測れたりもするだろう(例えば、自ら裸になって抗議を行うフェミニストの方々もいるが、その場合は上の特徴は含まれない)。 

 具体的にも、ここでライターであるJason Schreier氏がソーサレスの象徴を問題視しているのは、国連が呼び寄せたアニタ・サキージアンが用意したTropes(象徴)批評を参考にしていることは容易に想像できるし、Brianna Wu氏はTwitter上でアニタ・サキージアンと連なって名前が挙げられる活動家なのだ。

 そういった背景を知っているか or いないかで、ニュースへの理解度は大きく変わる。


 一応、補足しておくと、私はここでフェミニズムや女性の社会進出を陰謀論めいて否定したいわけではない。

 私は女性の社会進出に賛成だが、その議論と女性の肌の露出や表現の規制とは関係ない。いやむしろ男女平等社会を困難にするとさえ考える立場にいる。

 Brianna Wu氏はなぜ「男性のダンサーも呼んでほしい」と要求しなかったのだろうか。そういう議論も可能なはずである。またダンサーやコンパニオン自身にも誇りや主張もあるだろう。なぜ彼らの職業が活躍する場所を奪おうとするのだろうか。それと同じようにヴァニラウェアのデザインを「かわいい」「すばらしい」と感じる女性もいるだろう。しかし、この議論においてそのような感性は排除されている。

 そこにあるのは、女性差別や女性蔑視というより、性露出や性表現への嫌悪感情だと言えるだろう。ただそれはフェミニズムが扱ってきたテーマとは言いがたい(もしかしたら、マルクス主義や、ピューリタン的なキリスト教的倫理観などが間接的に関係しているかもしれない)。

 ここに至って、Part-1でも述べた西洋におけるラディカル・フェミニズム旋風を理解する必要性ということについて、ようやく理解してもらえると思う。単純な女性問題や欧米の慣習的な問題としてではなく、ゲーム業界に影響を強めている特定の政治的言説や影響力、社会への受容の度合いをリサーチしておく必要性がある、と言えるのだ(別にGamerGate側の主張に寄る必要はない)。

  欧米のゲームキャラクターに対する批判は、ユーザーの感情や欧米の慣習から発せられている、とは言いがたい。批判者にはある具体的な論点と、思想的背景があり、その影響力は、大衆向けゲームメディアのライターが力説し、そこに二千のコメントがつくほどには強くなっている。


■キャラクターデザインを巡る日本と西洋との溝

 だが、私はこれを政治的対立としてではなく、あくまで日本と西洋との間に出来た大きな誤解(もしくは貿易摩擦)としてとらえたい。

 そう、それは誤解である。例えば、神谷盛治さんのデザインにしても、それにかぎらず瞳の大きなセクシーな美少女は、もともとは少女漫画の記号から取ってきたものであり、少女漫画をさらに遡ればそれは宝塚のように、女性が男性を演じるような性差に囚われない芸術表現に行き着く。そのような歴史を知らなくとも、目の大きな少女キャラクターは女性も見慣れている一般的な美術形式だ。ただし、日本の中では。

 一方、海外の人々はどうだろう? 誰も少女漫画を読んだことがない、のだ。知らないのだ、何も。しかも女性キャラクターを目の前に出されるだけで、それが何なのか誰も説明もしてくれないのである。

 それは寿司を初めて見て、それが不潔なナマモノだと勘違いする外国人に似ている。寿司がきちんと調理された伝統的ファーストフードだと知らされなければ、彼らはそれを自分たちの文化的背景に照らして「料理ではない」「気持ち悪い」と判断するのも当然かと思われる。 

 この誤解は、それが誤解だと知らされ、誤解を解く正しい説明をなされなければ、そのすれ違いの溝はどんどん大きく深くなっていく。

 すでにその誤解は、政治的な団体がバックにつき、理論によって強化され、批判にまで昇華され、そのロビイングは国際政治に取り上げられるほどにまで影響力を増しているのだ(ただ、ラディカル・フェミニズムも、企業がゲームを社会に迎え入れさせるための方便として利用されているのかもしれない)。

 その意味で、漫画やアニメの素晴らしさを海外に発信するだけでなく、情報の受け取り手の文化……西洋のゲーム文化の大きさを考慮し、ゲーム表現と繋がるようなキャラクター理論や歴史観・価値観を提出することが求められている、と言えるだろう。

 私自身は、GamerGateやラディカル・フェミニズムの問題を語りこそするが、それらの勢力や問題の排除を念頭にするのではなく、最終的には、日本の企業なり機関なりアカデミシャンなり個人なりが、”西洋社会全体に説明責任を果たす”ということをゴールにしたいと考え、この記事を書いている。そこには、ビジネス的な利潤をも視野に入れていい。


 Kotakuの記事自体、もう三年も前に書かれている。その間、日本人は誰も(事件を知らなかったこともあり)神谷さんを擁護できなかった。正直、私は海外の人々だけでなく、このような問題を放置し続けている日本の責任ある立場にいる人々に対しても複雑な気持ちを抱いている。

 現状では、何の対抗策も打たれておらず、日本のゲームクリエイターは、このようなリスクを抱えたまま、海外に飛び出さなければならない。個々で対処することになるだろう。

 弊害もすでに出始めている。

 ストリートファイターⅤの表現の一部が自主規制に追い込まれたりDEAD OR ALIVE Xtreme 3が海外での販売の中止を決定したりしている。今後、この圧力がより強まってくれば、日本のゲームコンテンツ全体に対する集団的な低評価やバッシングが行われる可能性もある。

 これは”おま国”のようなローカライズの問題だけでない、と言えるだろう。このような海外市場への意欲が萎縮していけば、それは当然、日本のゲーム産業の縮小を意味するだろう。その未来は、国内ゲーム市場でのパッケージの売り上げの苦戦を嘆いているゲーマーにとっては、肝の冷える想いをさせるものなのではないだろうか。


 話を最初に戻したい。GamerGateについて。

 GamerGateを知る前に、この状況を知る必要性があったことを、今のあなたなら理解してくれるだろう。

 実際、女性キャラクターを批判する声に不当な想いを真っ先に抱いたのは、日本の漫画やアニメに理解を示していたゲーマーたちだった。彼らの怒りがGamerGateの動力源となり、初めてこういったジャーナリズムを腐敗と断じ、一般人をも巻き込む議論になっていったのである(米Kotakuを運営しているGawkerメディアは、GamerGateが敵視し、もっとも批判を浴びせているメディアである)。

 このような背景を知らなければ、自然、たいていの人の目には、ネットのミーム運動など女性蔑視運動だとしか映らないだろう。しかし、GamerGateが起こる以前の西洋もゲーム業界も、そんな”キレイ”だったわけではない。問題はあった。

 どのような事象を見るにしても、一面的な見方こそが誤解の種を作る、と自戒を込めて述べておきたい。




Part-3へ


ゲームから”美少女”が消える日 ~GamerGate参加者が語る欧米社会の今

Part-1  Part-2  Part-3  Part-4

 ゲーマーゲートについて、日本で報道されたいくつかの記事を見てみよう。

 前回、紹介した

○Access Accepted第440回:北米ゲーム業界を揺るがす“ゲーマーゲート”問題

http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20141107133/

を始め 

○ゲーマーゲートの件 - はてな匿名ダイアリー-http://anond.hatelabo.jp/20141111031928

○SXSWで論争の的。3秒でわかるゲーマーゲート(GamerGate)問題- GIZMODO-http://www.gizmodo.jp/2015/11/3gamergate.html

○【特集】今も余波続く「ゲーマーゲート騒動」―発端から現在までを見つめ直す-Gamespark - http://www.gamespark.jp/article/2016/01/31/63439.html

○「ゲーマーゲート」の騒動はどこまで広がるのか - 平和博 ハフィントン・ポスト -http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/gamer-gate_b_6058692.html

  などが検索上で引っかかる。


 4gamerの奥谷海人さん以外の以下4つは、どれもGamerGateに否定的な内容である。しかも、個人ブログ、メディア、ジャーナリストによる記事など様々な媒体が、「GamerGateはネット上の女性叩き運動だ」という論調で報じているために、これらを閲覧しているだけだと、どんなに調べてもGamerGateがネガティブな運動だと思わざるをえない。 

 しかし、この報道に関しては、GamerGateが”既存のゲームメディアの在り方を問いなおす”反ネットメディア・ミーム運動であり、ゲームメディア・ニュースサイトは、GamerGateによって味方なり敵なりに振り分けられた一つの勢力であり、この騒動の結果によっては自分たちの存続すら危ぶまれる立場にいる、ということで、その仕組みがはっきりする。

 ゲームメディアは中立的な報道をすることは非常に難しく、読者は用心する必要がある。

 実際、上に挙げた中でも、GIZMODOはGamerGateの人々が批判しているGawkerメディアの系列会社であり、日本版は名前をかりているだけだったとしても、その事実を明らかにしないまま記事を作っている時点で、そもそも中立的な立場に立っているとは言い難い。また、ハフィントン・ポストの平和博さんの記事はGamerGateの報道に関しては、過去に誤った報道をしている(GamerGateの参加者からの指摘を受け、後で修正された。しかし、タイトルはそのまま)

○パリ同時テロと〝ゲーマーゲート〟:ジャーナリストがテロリストに仕立て上げられる

http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/gamer-gate-journalist_b_8678778.html

 このコラ画像を作った人物は、ただの荒らし行為を及んでいるtroll(荒らし)で、GamerGateの一員でないにもかかわらず、平和博さんはこのtrollをGamerGateだと報じてしまった。

  また、おそらく騒動の初めに多くの人が読んだであろう、はてな匿名ブログの記事に関しては、GamerGate騒動のかなり初期に書かれているわけだが、この記事を書いた人物が、果たしてなぜこんなに早く事態を把握し、しかも海外のニュースをこうも独断できているかについては疑問も残る。もっとも書き手が匿名のため、その辺を詮索するのは下衆の勘繰りか徒労というというものだろう (場所が場所だけに、ここでの情報を信じる方にも問題はある) 。

 むしろ論理的な部分に絞って納得しにくい点をあげたい。ブログ記事の中に書かれている通り、ゾーイクインさんに対する炎上事件が起きた後に、ゲーマーゲートの名前が考案されているのなら、ゾーイクインさんに対する暴力を及んだ事実があったとしてもそれは4chanで起こったことであり、Twitterのハッシュタグにより始まり、一般ゲーマーも巻き込んでいったGamerGate運動とは関係ないのではないか?

 しかも当の4chanねらーも4chan内で内部分裂を起こしているので、一枚岩ですらないのだ。

 これは2chを扱ったニュースでも同じなのだが、2chはサイト(場所)の名前であり、2chねらーといっても特定の性格を指すことはできない。2chは人が集まる場所なわけだから、当然、中には良からぬことを考える人も混ざっている。だが、そのような輩への批判を2chに出入りしている人間全員に当てはめれば、批判の矛先を間違った相手に向けてしまうことになる。 

 もっとも私も個人を集団で中傷するような行為は好まない。このような場合は、警察の捜査に任せるか、4chanが情報公開するなりして、事実関係がはっきりさせることが優先されるべきだろう。今となっては、刑事事件になっていないかぎり、それ以上の言及はできないが。

  これらの記事の批判点を挙げるあるとするなら、そのどれもがGamerGateを政治的対立として報じず、中立的な立場から事件を報じている……ように読めるにもかかわらず、どれも明確なソースを提示できていなかったり、炎上事件だけでなく、GamerGateの人々のメッセージにも耳を傾け、それを伝えるなどの相対的な立場を維持していないことだ。 

 ちなみに、この記事はGamerGate側から書いているので、読者がその点を差し引いてくれてかまわない。

  もっとも私も日本のメディアが、悪意をもってこのような報道をしたとまでは邪推していない。そんなことをしたところで何の得もないからだ。おそらく、欧米のゲームメディアの扇情的な記事をソースにしたり転載してしまうことで、日本にまで「女性叩き」「インターネット上の暴力」という過激なフレーズが踊る報道が乱立してしまったのだろう。読まされた方はいい迷惑である(その点、一定の評価ができるメディアもある。日本版のKotakuだ。欧米ではGamerGateが批判し、Kotakuの方もケンカを買ってでた形だが、日本のKotakuは今のところ意図的に距離を取っている)。

 日本のメディアまで影響を受けるほどに、GamerGateによって生まれた政治的対立の規模は大きかった、と言える。

 逆風、という言葉もある。

 現在の欧米のゲーム文化の風潮が続けば、海外における日本のビジネスや、IPの価値が大打撃を受ける可能性も十分考えられる。その時、もっとも批判のやり玉にあげられ、恥をかいてしまうのは、あやふやな記事を書いた執筆者なのではないだろうか。

 むろん、この騒動が難しすぎる、ということはあるのだが。


※今すぐGamerGateについて知りたい方はPart-3[記事リンク]からどうぞ!



国連からの通達

 2016年2月、国連(国際連合人権高等弁務官事務所)が日本に通達してきた文章が、ネット上で物議を醸した。

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https://twitter.com/UNHumanRights/status/697456741609574400

 “Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women.”

 ここには、国連が、フィクション上で描かれるキャラクター表現の一部を女性差別と捉え、女性問題を議論する場で、第一に、女性に対する性的暴行を含むゲームと漫画の規制を議題に挙げる、という内容が書かれている。画像ではビデオと書かれているが、これはゲームのことを指している(英語ではゲームをVideo Gameと呼ぶ)。

 このニュースを聞いて、突然「ゲームと漫画」が規制の対象に挙げられたことに疑問を抱いた人もいたのではないだろうか。

 なぜ”今”、国連はゲームや漫画を議論の俎上に載せる必要があったのか?

 実は、この国連の動きは偶発的ではない。きちんと”点”と”線”が存在しているのだ。今回の審議を行う前、国連は、ある一人の活動家を招致し、その人物から意見を聞いている。漫画アニメゲームの表現規制という議題選定は、この会議の影響から採用されたのではないか、と考えられるのだ。

女性と少女に向けられるオンライン上の暴力との戦闘に必要とされる緊急の活動-Urgent action needed to combat online violence against women and girls, says new UN report

http://www.unwomen.org/en/news/stories/2015/9/cyber-violence-report-press-release 

 国連が呼び寄せた活動家の名は、アニタ・サキージアン(Anita Sarkeesian)

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 現在、欧米社会で巻き起こっているラディカル・フェミニズム旋風(サードウェーブ・フェミニズム)の中心人物の一人で、ゲーム批評家としても活動しているフェミニストだ。フェミニストといっても、既存のフェミニストの採用してきた融和路線と性格を異にするため、SJW(ソーシャル・ジャスティス・ウォーリア)やPC(ポリティカル・コネクトネス)と揶揄されることもある。

 彼女の名を聞いて、洋ゲープレイヤーや海外ニュースをチェックをしている人の中にはピンと来た人もいるかもしれない。――そう、アニタ・サキージアンは、欧米のゲーム文化を二分したとも言われる文化戦争・GamerGate(ゲーマーゲート)騒動において、ゲーマーとゲーム文化を侮辱したとして、ゲーマーや4chanねらーからの顰蹙を買い、激しい批判にさらされた人物でもある(ちなみに、GamerGateが女性を攻撃したとする証拠はない)。

 GamerGateについて今すぐ知りたい人は、ここを参照。中立的な立場から詳細に書かれている。

▼Access Accepted第440回:北米ゲーム業界を揺るがす“ゲーマーゲート”問題

http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20141107133/

 アニタ・サキージアンは、その言説の中で、これまでの女性ゲームキャラクターが男性優位の価値観によって作られてきたと主張し、今日までのゲームの歴史とその表現を「Sexism セクシズム(女性蔑視)」と批判している。言わずもがな、その批判の矛先の半分以上は、日本のゲームやキャラクター表現に向けられることになる。

 そして、GamerGate騒動以降は、ネットハラスメントの被害者として、彼女と彼女の団体FemiFreq(feministfrequency)はMicrosoftやTwitterが主催したシンポジウムに招かれ、年々メディアへの露出を増やし、また欧米のゲーミングメディアが彼女を後押しする形で、彼女の理論――どのキャラクターが性差別で、どのキャラクターが性差別でないのかを見分けるロジック――は、「ゲームが差別の温床とならないため」という名目で西洋社会に普及しようとしている。そこでは、アダルト向けと、マリオのピーチ姫のような一般的に知られているゲームキャラクターとの区別は、基本、なされない。

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 その前提を踏まえた上で、先ほどの国連の文章を見返すと、この一文の奇妙さの謎が解けるだろう。

“Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women.”

 ここに書かれているのは、アダルトや18禁といった規格の話ではなく、性暴力という表現”そのもの”に対する言及なのである。そして、表現そのものを問題視し、規制を訴えているのが、今、西洋で勢力をのばしているラディカル・フェミニズムなのである。

 アニタ・サキージアンたちが国連に呼ばれたのが2015年の9月、今回の審議が2016の2月。そして、アニタ・サキージアンは、まさにキャラクターが女性差別の温床になっているとし、彼女が受けたとされるネットハラスメントがゲーマーが持っている女性蔑視の具体例だと主張してきた人物なのだ。

 少なくとも欧米のゲーマーたちにとって、今回の日本に対する通達に表現規制が盛りこまれることは必然だった。

 ――とはいえ、なぜ一介の批評家が、ここまでの厚い待遇を受けなければならないのか? ネットハラスメントの被害者という側面と、ゲームや漫画のキャラクターの問題がどのように繋がっているのか? なぜ日本にまで批判の矛先が向いてきているのか?……これだけの符号から全体像を把握することは困難だ。

 一言で言えば、西洋がおかしくなっている。 


 今回の国連の動きは、一朝一夕にしてなされたわけではなく、ある大きな流れの中の一つの兆候であり、結果でしかない。

 その背景には、欧米のGamerGate運動と、ラディカル・フェミニズム旋風がある。そして、この二つのムーブメントを知ることは、今日の欧米社会とゲーム産業との関係、思惑、そして、そこで別れ道に立たされている海外市場における日本ゲーム産業の行く末を知ることを意味してもいる。

 いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうか?

 今、欧米社会では何が進行しようとしているのか?

 おそらく、これからの日本の様々な人々が抱くであろう疑問に、私なりの回答が示せるのではないか――その意図のもとに、この記事は書かれようとしている。そして、欧米社会の現状を日本に伝えることは、私がTwitterやメール上で交流してきたGamerGateの人々の強い願いでもある。 

 もっとも、先に断っておかなければならないのは、見ての通り私はジャーナリストではない。偏見や誤りを避ける努力はするし、対立感情を煽るような表現は避けるつもりだが、特定の立場から解説することになるので、中立性を完全に順守することはできない。GamerGateに参加している日本人の立場から、日本の文化の利益を優先して書く。なので、参考程度に読んでくれてもかまわない。




すべてを狂わせたゲーミングバブル

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 ――ゲーム(Video game, Gaming)。

 それは2016年現在、欧米でもっとも加熱している…と人々から認識されている産業の一つだ。

 世界のゲーム産業の市場規模は、CAPCOMのサイトによれば、パッケージとDLCの合計で216億ドル(2014年時)[http://www.capcom.co.jp/ir/business/market.html ] 、ファミ通では世界市場が6兆7148億円、地域別ではアメリカ+ヨーロッパで3兆7410億円、前年よりプラス成長傾向にあることに報じている[ http://www.famitsu.com/news/201506/12080664.html ]。

 また、スマートフォン向けゲームなどの伸びもあり、ゲーム市場が成長産業だと見られているのは確実なようだ[ http://www.gamespark.jp/article/2015/05/21/57138.html ]。


 ただ現状を示した数字だけでは語りきれない側面が、ゲーム市場にはある。

 投資家たちはより未来に目を据えている。冒頭のザッカーバーグの写真を見てもわかるように、ゲームは、これから到来するヴァーチャルアリティというSF世界や、VR産業の勃興を実現するために必須となるソフトウェアだ。今はまだ未知数だが、AI(人工知能)技術とも無縁ではない。人の意思を再現するほどの高度なAIが実現すれば、将来的には、ゲームキャラクターに人工知能を実装するような試みも行われるだろう。

 最新科学技術の唯一の難点は、それを人々の需要にあった形として商品化し、広く一般に普及させることだが、ゲームと協力することで最先端の技術をエンターテイメントとして人々に提供することができる。それは80年代から2000年代にかけて、PCや携帯機器の普及とゲームとの関係を思い起こすことで実感できる人も多いだろう。ゲームは、最新技術と相性が良い。 

 “人造生命体(ホムンクルス)”というキリスト教的なテーマとも絡んでいるためか、VRやAIの話は、西洋の一般の人々の間にも広がり、それらの技術はしだいに認知を得はじめている(同時に、その話題性の影には、新しい技術に対する恐怖も潜んでいる)。

 未来ではなく現在の話でも、ゲームは2000年代を通して技術を進化させ、映像のレベルは今や大作映画と肩を並べるほどにまで到達し、市場規模も映画産業を超える規模にまで成長している。それまでゲームに興味のなかった人々にも、”ゲームの何が凄いのか””どれだけ影響力があるのか”が伝わりやすくなっている、と言えるだろう。


 もう一つは、西洋サブカルチャーにおけるゲーム文化の存在感の大きさだ。

 日本では、漫画アニメゲームは、キャラクター文化の中で同列に扱われているジャンルで、その中でもゲームは、研究者やCoolJapanのような国策?の中では、少し低く扱われている印象すらある。しかし、欧米では、ゲームこそサブカルチャーの代名詞だ(もっとも日本においても2000年代以降はゲームの時代なのだが)。

 余談だが、しばしば「日本の漫画やアニメが西洋で大人気」といった報道がなされるが、それには多くの誇張が混ざっている。もっとも私なども漫画・アニメから強い影響を受けたクチなので、当初はそう信じこんでいたのだが、欧米においては一般的にゲーム(と4chanのChanculture)を通して漫画やアニメに出会うのであって逆からではないようだ。

 これは考えてみれば当然のことで、西洋のオタク(ゲーマー)からすれば、今の段階ではアニメや漫画はあくまで海外(日本)から受け取る文化でしかなく、一方、ゲームは自ら参加し、体験し、作り上げてきた文化でもある。どちらを”アイデンティティ”にするかといえば、後者であることは想像に易い。

 実際、コアゲーマーたちは、他のジャンルのオタクよりも能動的で、活発に活動している印象を持った。といっても、新種の、奇妙な人々ではなく、多くは常識もある普通の人々だ。

 西洋におけるゲームの歴史は古く、トールキンなどを始祖とする近代ファンタジー(アーツ・アンド・クラフツ運動)から始まっているとも定義できるし、TRPGやゲームブック、ボードゲームの延長線上として、それは位置づけられている。技術は新しくなっても、ジャンルとしてはしっかりとした地盤があるのだ。

 もちろん、ゲームは若者にとって最先端の流行でもある。近年では、e-sportsなど、ゲームプレイを競技としてとらえプロスポーツ化する風潮が生まれ、その破格の賞金額やイベントの規模の大きさが注目を集めている。YoutubeやTwichなどを通し、ゲームだけでなくゲームのプレイ自体をコンテンツとして捉える認識も、ここ数年ですっかり定着したと言えるだろう。

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 そのゲーム文化の中で、日本のゲームの評価は未だに高い。日本のゲームは、欧米のゲーマーにとって、彼らの子供時代を形作った大切な思い出の一つであり、出発点として親しまれている。

 特に任天堂と小島秀夫は、ゲーム史におけるレジェンドであり中興の祖、または最前線を走るアーティストとして尊敬と憧れをもって語られている。海外において宮本茂や小島秀夫は、総理大臣以上に有名な日本人であることは間違いない。ゲームクリエイターという職業は今や花型であり、かつての映画監督やロックスターのような、文化英雄的としての側面としても見られ始めているのだ。

 当然、そのような若者たちからの圧倒的な支持は、浮世の反応に敏感な様々なジャンルのアーティスト、ハリウッドの監督や俳優や制作スタジオからの注目を集めることをも意味している。むしろ彼らの方から、ゲームクリエイターに対し、礼を尽くして接しようとする。

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小島監督と ギレルモ・デル・トロ監督- D.I.C.E.サミット2016にて


 このように、テクノロジー、ビジネス、文化の三つの領域の目的が重なることにより、欧米のゲーム産業は稀に見る過熱さを見せ、世間(政府、企業、人々)の期待と評価を得ようとし、今や繁栄を極めようとしている。日本にだけ目を向けていると、ゲームはもうダ……ゲフンゲフン! 失礼…日本との温度の差に驚かされる。

 だが、その繁栄は、様々な局面で新たな対立をも生じさせ、各々の立場や意識の差を明確にしていった。ゲーム産業をメインカルチャーの中に編入しようとする風潮と、コアな、エッジの効いた、フリーダムなカルチャーであり続けようとする風潮との衝突である。

 ゲーム産業が成熟し、社会的な注目を集めれば、様々な目的を持った人々がゲーム業界に参入しようとしてくるし、政治的な言説も介入してくる。既得権益も生まれる。今まで自由に話していた、ただのゲーム好きのお兄ちゃんに、ジャーナリストとしての責任が発生してくる。自説を曲げるライターも出てくる。派閥もできる。目の前に利益や権威をちらつかされ、企業も人も誤りを犯す。


 そういった各々の思惑と欲望が入り乱れている中で、既得権益に組み込まれる(と思っている)一部の業界人とそうでない大多数のユーザーたちとの対立が起こったらどうなるのか?

 その最悪の事態が、ある一つの輪郭をとって表面化してきたのが、キャラクターの表現に人権や女性の権利を関係づけさせる、キャラクター批判・表現規制問題であり、ゲーム文化に吹き込んだラディカル・フェミニズム旋風なのである。

 後述するGamerGate騒動・運動が、単純な政治的対立として収束しなかったのは、このような背景があるからであり、GamerGateやラディカル・フェミニズムに関する報道が一貫せず、どの情報が事実で、または歪曲されているのかの判別が難しくなっているのは、ゲームジャーナリズムもゲーマーも、利害関係と政治的対立の渦中に投げ込まれているからにほかならない。

 当然、彼らは自分の立っている立場に有利な報道をするし、酷い場合は噓すら平然とつく。日本のメディアとて例外ではない(海外メディアの記事を転載することで、気づかないうちに騒動に巻き込まれている例もある)。


 この英語圏のゲーム文化に走った深刻な亀裂は、「ゲームは蔑視を助長する!」の一言から始まることになる。それは世間の歓心を買いつつ、同時にゲーマーたちの感情を煽り、逆撫でするには絶好の売り文句だった。

 このような図式は、日本でも過去に起こった「ゲーム脳」や「非実在青少年」騒動、または「カオスラウンジ」騒動などにも類似していると言えるだろう。ただGamerGateが私たちが過去の騒動の時と異なるのは、事件の現場が欧米社会だということである。

 西洋での政治的言説の扱われ方の大きさと、政治に対する人々の関心の高さは日本の比ではなかった。しかも、彼らは自分の考えや本音を隠したりせず、良くも悪くもすべてオープンにする。対立は表面化し、表面化しているだけに、メインメディアや一般社会にまでGamerGate騒動の影響が波及していった(その影響の余波、外縁が今回の国連からの通達だったというわけだ)。


 そういう前提の上で読んでもらうと、これから追っていく内容をより把握しやすくなると思う。





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ゲームから”美少女”が消える日 ~GamerGate参加者が語る欧米社会の今

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